第37話 「垂釣筌」に見る魚ほか    平成15年09月21日


文久
3(1862)に陶山槁木(スヤマコウボク=18041872)と号し、寺社奉行などを歴任した庄内藩のエリートであった。そして現役を引退後「垂釣筌」という本を著した。

文久3年の釣の対象の魚とは・・・・?

釣る時期は・・・・?
そして餌は・・・・
?
等々、非常に興味のある問題であった。


黒鯛には篠子鯛(黒鯛の当歳魚)、二歳(篠子鯛の年を経たもの)、黄または黄鯛(一尺前後の黒鯛で口の周りが黄色の為名付けられた)、黒(クロと云い黒鯛の成魚で別名剛鯛とも云っていた)等の呼び名を書き込んでいる。この呼び方は今の鶴岡でも通用する呼び名である。

独特の云い回しでは天口、土口とはメバルを云う。テンコ、ドコハジメと云い鶴岡では今でも使用している。次に石班魚(シンジョ=アイナメ)、魴(アブラコ=クジメ)、島施(シマメグリ=ベラ)、沖施(オキメグリ=?)。サヨリは美公魚、針魚と云いさらに巨笛と茂次郎の二つはモジロウと読み、顔が茂次郎に似ていたからと云う。これらも今でも鶴岡で通用する言葉である。

赤鯛の小さいものを小鯛=コダイもしくは鯛子といい、大きいものを紅鯛と云っている。この本では花鯛、真鯛の区別をしていない様だ。

釣れた魚として他には鱒(マス)、鱈(タラ)、?(タナゴ)、河豚(フグ)、鯵、鯖、鮫(サメ)、赤睿(魚ヘンに睿と書きアカエ=アカエイの事)、コブ鯛(コブ=月ヘンに留と書く)、鮫。カレイは比目魚(カレーエ)、鰈の二種ある。ウマヅラも二種あり馬面、巨面(オオウマヅラ=魚にヘンに面)とある。他に鱸(スズキ)等がある。鰌(ドショウ)は釣の対象ではないが魚の名前が出てくる。

次に魚の釣れる時期

雨水(321)から清明(45)前後は河豚が釣れる。雨水、啓蟄(36日頃)に鱒が釣れた。立夏(56日頃)から小満(521日頃)は石班魚(シンジョ=アイナメ)に挑むと良い。芒種(66日頃)から夏至(621日頃) 巨面(オオウマヅラ)が良い。小暑(77日頃)には鯵、鯖に挑むと良い。白露(98日頃)よりは以後は紅(赤鯛)、黒(黒鯛)、黄(黄鯛)に挑む。他に比目魚(カレーエ)、天口(テンコ)、土口(ドコ)を釣る。天口(テンコ)、土口(ドコ)は夜釣りで釣る。夜釣りで鮫を釣った者は数人いる。力が強く、歯は剃刀の様でハリスを食いちぎられる。

岩の特徴を捉えた釣

(ナギ)を判断して岩を選ぶことが寛容である。荒れる(荒ナギ)と魚が居る事も在るし、居ないことも在る。静か(静ナギ)でも泳ぐことか在るし、又居ないことも在る。潮が濁れば魚は泳がないし、潮が澄みすぎても泳がない。潮が流れれば岩には泳がないが潮が出れば(出潮)必ず魚は居る。しかし、潮が入れば魚は居ない。魚という者は嗅覚が発達しているから餌の匂いで来るものだから、潮が入れば(入潮)魚の居るところまでは匂わないので、魚は巣から出て来ない。昔の人はこれを苦汐(ニガシオ)と云った。

餌はどうだったか?

餌の種類は蛸、貝、蟹、マエ(本虫、岩虫、関西ではマムシとも云う。地元では岩に居るものを珍重するが最近のものは砂泥に生息する泥マエが主流)、早虫(?)、エビ(川、沼に生息するエビで小エビ=ヌカエビ、エビ=酒田ではゴエビと云う)6種ある。現在では聞きなれない名前もある。早虫とは、現在では使われないヨコトビの事か?

                          参考図書「垂釣筌」